窓計画


展覧会開催

    




    




    





窓計画展レクチャーレポート

窓計画展で行われたレクチャーを研究室生が聴講しレポートとして記す。




『連続講義 ⾼⽊正三郎+岩元真明』レクチャーレポート
2024.06.22.Sat

本⽇は滋賀県⽴美術館にて、建築家の⽯⼭修武さん、建築史家の中⾕礼仁さん、加藤耕⼀さんをお招きし、EAST展⽰の講評会が⾏われた。冒頭、中⾕さんは「芸術とは最底辺の⼈が少ない投資でできる最⼤限のこと」と述べられ、最底辺の⼈というのは少し強い⾔葉だが、芸術にはそれほど影響⼒があって、作家の経験から来る⾝近な素材との向き合い⽅が垣間⾒える展⽰で⾯⽩いと感じた。

・⽯⼭修武「東⽅の⿃」
岡倉天⼼『東邦の理想』の⼤アジア主義のような、東アジアからヨーロッパへ波及するアジアの⼤きな⼒を⽰す。キリスト教にとって東は禍々しい⽅⾓であり、同時に再⽣の⼒でもある。⽯⼭さんがレクチャー毎に仰っているダブルスタンダード(欧⽶を追い越すようなインド・中国・アフリカの⽂化圏)の象徴のように感じた。
・中⾥和⼈+野⽥尚稔
中⾕さんは、芸術は素材に込められた労働⼒の特殊な発露だと語られた。岩⽯に⾒える⼤きなパワーが表現され、⽯の作られ⽅である素材の堆積が、インクジェットプリントの組成と類似していることがうまく表現されている理由と述べられた。加藤さんは岩⽯への光の当たり⽅まで想起させることに⾯⽩みがあると語られた。
・李祖原+李⽞
⽅と円が中華思想を表し、フリーハンドっぽくありながらしっかりと構成された絵画である。⽯⼭さんは展⽰会の中で最も⾼価な絵画であると称していた。もう⼀つは「台北101」の模型であり、⽯⼭さんは⼈が⼊れるオフィスビルとしては最⼤のタワー・記念碑であり、11財閥が資⾦を出し合って建てられたお⾦の塊のような建築であると語られた。中国の思想であるお椀型の形が⾒られ、11財閥に因んで11ユニットで構成される、⽵をモチーフにした建築である。
・⼭本理顕「Living in the city」
寂しげなパリの街にアジア的なバラックの建築が聳え⽴つ対⽐的な絵である。⽯⼭さんは、巻き取り機が機械時代の産物のように書かれていることは、⼭本理顕さんが事務所に「設計⼯場」という名前をつけていることからも、彼の理想はこれなのではないかと分析された。パリであるのは気づいていなかったが、ブランドの店の上を乗り越えるように構築されるタワーは、とても挑戦的で⾯⽩かった。
・趙城琦
⽯⼭さんは趙さんを、⽇本⼈にも中国⼈にもない異質な性質を持つ⽅で、中国の⽅らしい誠実な頑張りをされていると述べられたが、中⾕さん、⽯⼭さん共にお⾦がかかっているように⾒えるところが残念だと語られた。⽔墨画の光と影の表現は⾯⽩いが、⾦⾊の筋が何か伝わりづらく、かえって絵のように感じてしまうと語られた。
・佐藤研吾+⼤隅秀雄
⼤隈さんの作品では、⾃⽴している⼤きな作品に対して、建築と彫刻の間を体現しているとされ、加⼯技術の結晶であると好評された。⾵を感じさせる形態など、物質性と構築性を感じさせる素材感とディテールの作り込みが⾼度だった。⾃分も触ってみたが、回転のスムーズさ、回転軸のズレがありながらぶつかりそうでぶつからない感じなど、モノとしてとても⾯⽩かった。佐藤さんは窓を⾝近な場から彼⽅を⾒るものと定義し、煙突・墓の造形物をピンホールカメラの部分とし、覗き込むような写真を展⽰されていた。⽯⼭さんは、造形⼒が必要で、特に4本⾜のついたものに関しては映像、特にジブリの影響を感じてしまうと批評された。造形の例に関しては、ガウディの弟⼦のJ.M.ジュジェールや、チベットの集落の釜を挙げられた。また、佐藤さんの作品に⺟や⽝への古めかしい愛情を感じたと述べられた。加藤さんは煙突から空を⾒るという画⾓に、ピンフォールカメラの特性(反転・抽象化されて写るなど)がわかりづらく、また窓の解答で⾔えば、暖炉という室内のモノから異世界に繋がる煙突というような窓っぽさのあり⽅も⾯⽩いのではないかと述べられた。サンタクロースが煙突から侵⼊するようにという異世界との繋がりの例は興味深かった。
・渡邉⼤志+宮本茂紀
窓を洞⽳の⾵景から考え、開⼝部化していく流れをスケッチとともに図式化していた。⽇本初のモデラーである宮本さんと共に空間の型を椅⼦に落とし込んでいた。流⽊によって⽊⽬に⾒られる⾃然エネルギーの可視化がされていて、流⽊の選定が良かったと評された。加藤さんからは図表の中のナショナルロマンティシズムに違和感があるということ、⽯⼭さんからはパートナーシップのあり⽅にミスがあったと指摘があった。
・⽯井孝幸+⾼岡典男
⾒捨てられたものを素材として、⽯井さんがロンドンから、⾼岡さんは⽇本から素材を持ち寄り、予定調和なしに窓から⾒える「何か」を表現した。建物など他のものに寄⽣するストラクチャーに対して、間に⼊るソフトカーテンウォールでの区切りを作った構造体が、ロシア構成主義的だと評され、⽯⼭さんはウラジミール・タトリン、中⾕さんはイワン・レオニドフのようだと述べられた。中⾕さんの鉄の引っ張りというのは最も新しい技術で、輪の構造体が⾃⽴すれば20世紀的表現になるという話は、想像してみるとさらにロシア構成主義的で⾯⽩かった。ビニールはコールタールから⽣成されるが、ロシア的ではない部分を⾒せるために化学的分析を持たせるのはどうかという指摘もあった。模倣に関しての話題も上がった。建築というのは模倣の積み重ねとして捉えられるが、アーティストは模倣を嫌い、独⾃性を⼤切にしたがるという指摘は、建築と芸術の違いを端的に表している気がした。
・⾨脇耕三+湯村光
セラミック(焼物)は⾃然に分解できず、⼈間世界にとどまり続けるが、そのようなゴミとの付き合い⽅として、粉砕しキューブ化することで、循環の形を表現していた。焼き物につけられた⾊が、粒⼦の⼤きさによって変化し、特にガラスは粉砕してキューブ化することで、⽩く変⾊して透明性を失っていた。ただ、キューブ化した時に、再利⽤はできていて⾯⽩いが、元の姿に対して⼈が感じていた愛着や質感といった情まで消えているのではないかという指摘があった。湯村さんの御影⽯の彫刻は、⼀つの⽯から割って作られ、void(間隙)を表している。きっかけを作り、割れ⽅は⾃然に任せられ、⾃然に割れた肌を表現するため、⽮跡を消す置かれ⽅がされていることで、あたかもそれぞれの⽯が繋がっているように⾒えた。⽯⼭さんは、バラバラにしておいた⽅が良いと述べられたが、個⼈的には積み上がっている⽅がかっこいいと感じた。中⾕さんはインドネシアの隣り合う⽕成岩と⽯灰岩の島の彫刻作品に⾒られる違いから、湯村さんのグラナイトの加⼯に対する性質の⾒極めが⾮常に良いと語られた。(グラナイトの彫刻作品は割る・磨くことによる作品が⼤多数である)全体的にはプロセスを提⽰しているのがよく伝わって良かったと述べられた。
・藤野⾼志、⾼橋梢
藤野さんは⾃分と⾃分の外側を繋げるものを捉え、外のもの(家具など)に⽣物を⽐喩的に感じるように、無機質な抜け殻で表現された。光と⾊の造形と称された。⾼橋さんはこの世とあの世を捉え、古代⽂字・古代漢字による表現をされた。⽯⼭さんは、両者ともにスタジオジブリ的な造形で、アニミズムであると語られた。中⾕さんは素材、組成に対するコスパの良さがあり、好みだと語られた。
・⾼橋晶⼦+⻘⽊美也⼦
今回の展⽰の中で最も知的で、光の問題について⾔及し、それらを藤野さんのようにインテリアとして実現される独⾃性があった。窓を現象として表現することを⽬指し、作品の⾵除室を作ることで、グラデーショナルな空間体験を作った。背景や絵の中にピンクを使われているのに対し、補⾊となる緑で部屋を埋めて、⾵除室を出た時に視覚効果を⽣むように作られている。部屋の中にはスリット、三⾓の天窓などによって光が⼊れられる。⽯⼭さんはスティーブンホールの⾓を壊した作品に近いと語られ、三⾓のスリットはもっと細くしたほうが美しいと述べられた。また、床も発光して、天地全てから光が⼊るような空間でも⾯⽩いと述べられた。壁にかかった絵画は外からの光によって背景のピンクが⼤きくなったり⼩さくなったりすることで、外からの光に関⼼を持つように考えられた。中⾕さんは床に置かれた斜め向きの絵画に関しては少し意図が伝わりづらいと述べられた。
・増井真也+⽥村和也+⻘野正
⽯⼭さんは、⼯務店という⽣産現場(職⼈)の視点から作るという窓計画での理想であると述べられた。また、左官の造形によって描かれた絵は気取りがないことが良いが、中央のボックスが現代彫刻に媚びているようでよくないということを述べられた。加藤さんは、社会の中でアーキテクチャーとビルディングにヒエラルキーがあることに疑問を呈され、読んで字の如くbuildできることは強みであると語られた。ものとしては全く異なるが、トンボなどの⾍が実物のような膨らみを持って表現されているのが、エミールガレのようで、触覚にも訴えてくる彫刻的な⾯⽩さを感じた。
・WEST
川井先⽣は差し掛け窓として表現された。古材ならではの古びた感じや、朱⾊と⻩⾦と変⾊した⽊材が新しい材との対⽐を⽣み出されていた。また、元は頭上にあった差し掛けの部分を下にずらして活⽤され、貫の構造をうまく活⽤していた。波板や⽊材の朱⾊と⻩⾦が、⽇本っぽく感じるようなビビットではなくくすんだ感じで、怪しい⾔葉ではあるが趣深さを感じた。家成さんは⼟嚢で作ったコンクリートや脚⽴、鉄パイプなどで⽔平に伸びる窓を作っていた。あるもので「窓」という題に対して解答し、造形するうまさを感じた。芦澤先⽣は⼯務店の中⽥さんが所有している南京町のビルに対して、「間」「⼾」を作ることで解答されていた。道前⾯を⼤きく抜き、階段室や上限を貫通するオブジェクトを挿⼊する。中⽥さん・⽯⼭さんは、松村秀⼀さんは剣持昤さんの規格構成材というよりは、流通している材で何ができるかということを考えられた⼈で、イームズやプルーヴェのようであり、⼯務店の新しい在り⽅としてとても可能性があると述べられた。

今年の窓計画賞は、⼤隅秀雄さん、⾼橋晶⼦さん・⻘⽊美也⼦さん、増井真也さん・⽥村和也さん・⻘野正さんに送られた。中⾕さんは現代の社会情勢の中で「芸術は最後の⽛城」としてあるべきと述べられ、だからこそ神やペンや鉄屑など「そこにある素材」でやることに意味があると語られた。また、加藤さんは芸術の理想や論、イデアのようなものが物質へと移っているようだと語られた。⾃分たちがデザイン・表現するにあたって、物質について深く知ることの重要性を感じた。


文責:B4 清⽔翔真


『連続講義 ⾼⽊正三郎+岩元真明』レクチャーレポート
2024.06.22.Sat

本⽇は、神⼾・南京町にて⾏われている窓計画展連続講義の第4回、⾼⽊正三郎さん+岩元真明さんのレクチャーが⾏われた。今回の講義は、「建築は楽しい仕事でなければいけないよね」という結論で閉められた。僕は以前、⾹⼭壽夫さんは講演会で「建築とは楽しいもので、⾒て作って喜びがあるもの」と仰っていたのを思い出した。3Kなどと⾔われ、建築業界の⼒が衰退する時代の中で、⾼⽊さんは「場所的技術」が消え掛かっていることに危機感を感じていた。これは、職⼈や個⼈によって作り出された技術で、マルクスの⾔語では資本に飲み込まれない技術である。岩元さんの話の中で出た、⾒たこともない施⼯に挑む職⼈がいきいきしていた現場の話を、少し嬉しそうに聞かれていたのが印象的だった。考える・作る側として忘れてはいけないことを再確認できたレクチャーであった。
岩元さんは難波和彦さんの事務所を出て、ベトナムにてヴォ・チョン・ギアのパートナーとして設計活動をされたのち、九州を拠点に活動されている。また、九州⼤学で助教をされており、アジアの近現代建築について研究されている。ベトナムでの経験について、難波さんの事務所時代と⽐べながら語られた。難波さんの設計を「プラモデルのようにピースをはめていく美しい建築」と感じる⼀⽅で、部材をカタログから選んでいくような設計⼿法に対して疑問を持たれていた。そんな中で、ベトナムでは⽵の型枠でコンクリートを作られた事例を紹介され、そこにある素材と技術で、どのようによくしていくかということに⾯⽩みを感じられていた。
研究では、カンボジアの建築家ヴァン・モリヴァンと九州を拠点に活動された葉祥栄さんについての話から、九州の位置について語られた。
モリヴァンは、⼀般的にはブルータリズムの建築家と分類される。このように⾮⻄洋に対して分類化し、レッテルを貼るような研究がされているが、モリヴァンの本質はそうではなく、当時のカンボジアという状況から⾃然とそうならざるをえなかった現実主義であるのではないかということは興味深かった。モリヴァンの研究の中で九州の位置は、フランスとカンボジアのように、東京と九州は宗主と植⺠的な関係にあるのではないかと、ある種のコンプレックスのように語られた。
葉祥栄さんは⼩国ドームに代表される建築家で、巨⼤な⽊架構やガラスの建築など無場所的な作品を多数作られた。葉祥栄さんは、イタリアの建築雑誌ドムスに取り上げられた際、九州の作品を「東京における展開」と称され、九州も東京も世界から⾒れば同じ点であると結論づけたことは、作⾵に⼤きく影響した。しかし、本質は地域のスペシフィックな課題解決と普遍主義の両⽴であり、特に⼩国ドームは熊本の間伐材問題という街のミッションから巨⼤な⽊架構へとつながっている。世界から⾒られるスケールと⾃分が建築するスケールを両⽅視野に⼊れているからこそ(世界的なスケールは、世界に対して地域性と⾔っても無駄のような諦めにも聞こえるが)、象徴的な形態と地域の⼈の愛着を感じられる場所になっていると感じた。葉祥栄さんは、東京と九州といったコンプレックスを弾き⾶ばし、九州の位置について再構築された⽅だった。

岩元さんの設計におけるテーマは、「安さ」である。紹介された作品では、素材・使い⽅にさまざまな⼯夫を施し、坪16~38万程度の建築を実現している。「節⽳の家」(2017)では、CLTの幅はぎ材を⽤い、厚さ30mmの⾯材と引っ張り材のみで屋根を構成することで、安価で建設された。「だら挽きの家」では、⼤径⽊材が安価で流通していることから、スライスしてそのまま柱として使⽤された。板柱の打設がそのまま内装になることから、スピーディーで安価である。加⼯などの⼿付きを減らせば減らすほど安価になるのはなんとなく理解できるが、丸太をスライスしたものを柱に転⽤するのは、考えたこともなく⾯⽩い発想だと感じた。冒頭の職⼈がいきいきとしていた現場はこの事例である。普段はそのまま使わないだら挽きの丸太が⼭積みで来て、どのように使うのか職⼈たちも⾯⽩がって施⼯していたという。いわゆる規格構成材の組み⽴てではなく、アイデアを実現する技術が試される現場という印象だった。
⽯⼭研を出られている⾼⽊さんは「場所でつくる」というテーマで話された。場所というのは現場のことであり、周りの環境、⼈の技術のことである。その場所にいる職⼈との関わりの中で、場所で育まれたモノが⽣かされた建築が挙げられた。「楽只庵」(2002)では、値切り⼟を利⽤した版築を⽤いている。左官は塗る技術も必要であるが、最も⼤切なのは配合と下地の技術であると語られた。「TIMERの宿」(2018)では、電気・ガスを通さないアンプラグな住宅で熱源や採光をどのように取るかを考えられた。竪⽳式住居、昔敷地である有⽥町付近で発達した登り窯の形態、オンドル、ロケットストーブといったハイではないテクノロジーを取り⼊れ、職⼈とともに作り上げた。⾼⽊さんは、なんらかのイズムや地域主義という思想が⾃分にあったわけではなく、施主に影響されている部分があると語られた。「宮前迎賓館灯明殿」(2023)では、博多の櫛⽥神社の境内にどのように溶けこませるかが考えられた。また、平清盛が⽇宋貿易を⾏い、博多商⼈によって栄えたとされるこの場所は、現在はその伝統技術が隠れてしまっている。それらを匂わせるため、組⽊の照明器具や⼭笠に⾒られる網代組のささら板などが⽤いられた。⽇本の障⼦は⼀部屋に現れる桟のプロポーションが異なるという名前のない技術があるということは初めて知り、名前はないが美学を表すような技術は興味深かった。
左右に鉄と網代組のささら板が対⽐的に使われた階段の例から、相反する「場所的技術」と「汎⽤技術」について語られた。汎⽤技術は半⽥智久さんの「奴隷的技術」、デイビットグレーバーの「ブルシットジョブ」という⾔葉が当てはめられ、鉄のささら板のように資本⼒により構想と実⾏が分離したものづくりであるとされていた。だから、資本に飲み込まれず、職⼈をいきいきさせるような⾯⽩いものづくりである場所的技術が失われることは、⼤きな損失であると述べられたが、階段の写真から、僕は汎⽤技術でなければ成⽴していない部分もあると感じた。レクチャーの中では汎⽤技術を絶対悪とする姿勢であるのかと思ったが、質疑の中で鉄のささら板のような、町⼯場の技術が失われることも⾮常に損失であるのではないかと指摘があり、もちろんそうで、2×4やプレカットなどの⾏き過ぎた技術が良くないと述べられ、納得できた。⾼⽊さんは⼤⼯や設計者が減っている原因は、仕事が⾯⽩くないことであると述べられた。デザインの楽しくなさというのは、剣持昤さんの規格構成材におけるいわゆる選択的建築家になってしまったことにも⼀因があり、汎⽤技術と場所的技術の塩梅は⾮常に重要であるように感じた。そして設計者として、楽しいものづくりにしていく必要があると感じた。

今回レクチャーをされたお⼆⼈は、師匠の模倣からよりよく変えていくことをされていた。岩元さんは難波さんを、⾼⽊さんは⽯⼭さんを、参考にしながら⾃分の価値観を与えて設計に落とし込まれていた。⾼⽊さんが「だら挽きの家」の原理を真似させてくれと岩元さんに⾔われていたように、原理(事実)の模倣は出⼒した個⼈が異なれば、等しく出てくることはない。模倣は悪いということではないと再認識した。


文責:B4 清⽔翔真


『基調講義 松村秀一』レクチャーレポート
2024.06.18.Tue

⻄洋と⽇本を対⽐しながら窓の歴史についてのレクチャーがあり、改めて興味深い内容だと思った。⻄洋はパンテオンのように⽳が窓として意味を持っていたが、⽇本では「間の⼾」が窓として存在した。⻄洋は建築の部分に着⽬しているのに対して⽇本は空間に着⽬している。⻄洋においては外界との対話を⾏うためのツールとして窓を位置付けており、その背景には宗教や社会の価値観が反映されている。⼀⽅、窓が持つ「外部と関わりあう」という機能は⽇本の窓こそ持ち得た魅⼒だったのではないだろうか。窓枠がなく、柱間に建具をはめ込めたからこそ、⽣き物のように空間を収縮できる⽇本家屋は間⼾が窓であった。映画の例として挙げられたヒッチコックの「裏窓」と野村芳太郎の「張込み」も興味深い。これらの作品が窓を舞台にストーリーを展開することで、窓が持つ物理的な境界性や情報の伝達⼿段としての役割を⽰唆していると感じた。
次にガラスを⽤いた建築事例を紹介された。歴史的に⾒ても⽐較的新しい建材であるガラスだが必ずしもガラスを多⽤することは空間を豊かにするとは⾔えないのではないだろうか。確かにガラスは、光を取り⼊れることで空間を豊かにし、内外の境界を柔らかくする役割を果たす。⼀⽅で、⽇本の伝統的な建築物で使⽤される⼾は、柔軟に空間の境界を調整することができるため、季節や使⽤⽤途に応じて⾃然との調和を保ちながら⽣活の質を⾼めることができる。夏⽬漱⽯の「硝⼦⼾の中」に登場する窓辺の⾵景も印象的であった。主⼈公が窓辺で過ごす情景は、⽇本の気候の豊かさと⽂化的な背景を反映しており、窓がもたらす外界との関わりが⽇本の建築と暮らしにおいて重要な役割を果たしていることを⽰しているのではないだろうか。
レクチャー終盤で⾔及された剣持昤の開⼝部論は⾮常に興味深かった。ビルディングエレメント論を派⽣させた規格構材建築⽅式(産業論)は現代の規格化住宅普及を⾒据えていた。当時、現在までの材料流通の流れを予期していた論考としては素晴らしかったと⾔われる⼀⽅で、私は現在の規格構成材で作られる建築が流布してしまっている現状に危機感を覚える。規格構成材の流通は、建築の⼤量⽣産と誰でも作れることを可能にしてしまった。それは同時にスクラップアンドビルドを促進させ、結果的に⼤量の産業廃棄物を⽣み出す状況を⽣み出した。今や建築が出すゴミの量は⽇本全体の産業廃棄物の1/4 を占めている。法規に則り作るとなると、規格材を使わざるをえないのかもしれないが、規格材を使わない無駄のない作り⽅を⽬指すべきだと思う。
建築はクライアントの要望だけでなく、コストや法規、敷地のコンテクスト、マテリアルや環境問題など考慮しなければならない要素が多い。しかし、どれかを仕⽅なく妥協して安かろう悪かろうの建築を作るのではなく、ベストのバランスを考えて建築を考えられるよう⽇々勉強していきたい。


文責:B4 岡本晃輔


『基調講義 伊藤毅』レクチャーレポート
2024.06.11.Thu

都市の文脈の中で「窓」的なるものを思考した伊藤先生は、都市の初源から近代までを対象として論じられており、都市という建築の中で「窓」が果たしてきた役割を把握することが出来た。特にグロッタ(洞窟)とグリッド(格子)が歴史文脈的に関係性を持っていることを指摘していたことが新たな知見で面白かった。
始原の窓の事例として、パンテオンやウム・バルサン洞窟にみられる天窓やフィンガル洞窟のように横からの岩の切れ目が窓になっているものもあった。ガストン・バシュラールは洞窟を戸のない住居としており、隠れ場と恐怖の弁証法は、戸を開いておく必要があるのだ。保護されたいのだが、又、閉じ込められたくもないのだ。人間存在は外部の価値と内部の価値を知っているのだと語ったが、始原の窓には、人間生活に必要な不安などの負の感情を緩和する窓があったことが理解できた。またスコットランドに残る新石器時代の石造の集落遺跡の事例では、オークニー諸島のメインランド島西岸のスケイル湾にある。10 の密集家屋郡は、住居が地下にシェルター状になっており、厳しい冬やその環境に対して応答した暮らしが行われていた。この時の窓は、現在屋根がないためどこに屋根がかかっていたか分からないが、少なくとも屋根や天井のある建物上方に窓があったと考えられる。洞窟の空間が人為的に集落としてデザインされた貴重な事例であると感じた。この集落の規模が拡大し生まれてきたのが、古代都市である。この時都市計画の手法で多く採用されていたのが、グリッドである。グリッドは建築と建築の間に隙間として現れ、都市の中に風や光を取り組む窓として機能していたことが、理解できた。巨大な内部空間に人が棲むことは難しく、それをどこか開いて、内部と外部の境界を都市の中にも作っていることが理解でき た。
内部と外部の切れ目からは、風や光、空気といった見えない生物に必要なベクトルが入り込んできており、これまでの建築家はこの見えないベクトルを可視化、もしくは拡大解釈し誇張する空間をデザインしてきた。こうすることで、一般大衆に対して、豊かな暮らしの在り方や、外部と内部のバランスを提示してきたように思えた。今後自分が建築を計画するときに、見えないベクトルに着目して、誇張することで新たな空間体験を作ってみたいと考えさせられた。


文責:M2 村上龍紀